留学生Kenkenのモンゴル通信

モンゴル困窮児童の生活・進学を支援するバイラルラ会現地派遣員で留学生のkenkenがモンゴルの今を熱くリポートします!
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モンゴル通信第85信

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    草原もう恒例になりましたが、年に1度のモンゴル里帰り。若干異邦人気分が入り込んで残念ですが、住み続けるのと違って社会の変化がより鮮明にわかるような気もします。気温は朝夕10度、昼間は27、8度(本日は30度、こんなことってあり?)。街の並木道は若葉から青葉へと装いを変え、強くなった陽ざしから市民を守っています。カラッとした空気が心地よく、時折の砂埃も強風ゆえにあっという間に通り過ぎてモンゴル人自慢(?)の汚染空気を街から吹き飛ばしています。夜の7時半と言うのにスフバートル広場の空は抜けるように青く、銅像の周りにおかれた数十台の子供用自転車と電気自動車が色とりどりに輝いて、若い両親や子供たちを試乗へと誘っています。

    1、ウランバートル市街の南を流れるセルベ川。その南岸、観光名所ザイサン・トルゴイの周辺地区は新規開発で湧き立っています。今回たまたまこの地区に用事があり、車で回ってみて驚きました。ほんの5、6年前はトルゴイ(丘のこと)下の大きな仏像と農業大学、市民の怨嗟の的となっていた悪名高い少年矯正施設(高い石塀で囲まれている)、それに広大な草地、それ位しかなかった所がなんと巨大かつ高層のアパート群に変身しつつあり、その貪欲な増殖の勢いは北西に向かって押し寄せて、貴重な遺跡ボグド・ハーン宮殿をも呑み込む勢いです。テキサスで歴史的なサン・アントニオ砦を探したら何とビルに挟まれて残っていた、との友人の話を思い出しました。この新開地の新装レストランで食事をしながら外を見ると15階、20階建てのマンションが通りに並び、これモンゴル?との驚き(結婚した孫娘夫婦にご馳走になった、ハッピー!!白人客が多く高そう)。

    2、これに加えてウランバートルではホテルの開業熱がまた凄くなっています。今まで市内のホテルはウランバートル、バイヤンゴル、チンギスハーンの3強を中心に中小ホテルがそれなりに繁栄していましたが、そこに先ずスンジン、ケンピンスキー、ラマダー、次いでベストウエスタンが参入し、目下ヒルトン、シャングリラが建設中です。世界資本がこの業界を席巻しようとするのは今後の外人客の増加を期待した上でのことで、モンゴルに将来性を認めてくれるのは有難いのですが、お陰様で我々の憧れであった名門ツウシンやディプロマットが撤退を余儀なくされ(前者はB.ウエスタンが吸収)、残った中小も生き残りをかけて改装やサービスの向上で対抗せざるをえません。しかし大変なようです。今泊まっているウルグーもその一つで、かっての薄汚れた内外装からそれなりにモダーンな感じのプチホテルになりました。しかしここの売り物はやはりモンゴル人特有の心の暖かさ(融通が利くということ)と、たまに見せる素朴な笑顔です(客室数が少ないので、上手くいってくれればいいが)。モンゴルくんだりまで来て、研ぎ澄まされたとは言え非人間的で慇懃なサービスを期待するのは場違いも甚だしい、これ軍曹の個人的感想です。

    3、市内の状況を見ると、主要な交差点の信号機設置がほぼ終わり、驚いたことに人々がけっこう交通信号を守るようになっていました。なじみの交差点で今まで通り勝手に道を渡ろうとしたら、そんな不心得者は軍曹一人。恥ずかしい!とカミさんに引き止められて危うく転びそう。また他の場所でも高齢者がとぼとぼと通りを横切ったら車の方が速度を緩めたり、止まったりしていました。交差点における権利と生命をかけての人と車のせめぎ合い、あのモンゴルのバイタリティーはどこに行ったのか?そういえばオフィス街の男性はスカッとした背広を着ており、女性の服装もサラッとスリムな夏姿に変わっていました。

    4、要するにモンゴルは近代化のスピードをもう一段とギヤアップ中なのです。牧民はトラックにゲルを積んで移動し、太陽光で電化生活をする。街では高級レストランや洋菓子店が繁盛し、庶民に人気のあった従来のホショールやボウズの店は影が薄くなる。気の合った英国系の老婦人が経営するパン屋を1年ぶりに尋ねたら営業はしているものの人影はなし。軍曹自慢のノキアの携帯(10年前に泥棒市で買った)も、モビコムによるともうシステム的に無理らしい。
    時代が変化すると老兵は消えるか、自らの立ち位置を今の時代の一歩先に定めるか、どちらかにせざるを得ません。軍曹にとってモンゴルは既にユートピアではなく、現代への挑戦の場に変わっていたようで、これが今回の訪問から学んだことでした。無論世の中から置き去りにされるのはまっぴら御免です。

    5、話をわがVCCに切り替えると、今回、我々は園長とともに過去10年間に送り出した学生47名の就学、就職状況をレビューしました。今ここで告白するのをお許しいただけるなら、就学援助を始めた最初の3年間、我々は学生の学業放棄の多さに悩みました(なんと17名中の5名)。極端な例では中学を出て折角職業学校に入った女の子が、何と数週間後に妊娠して登校放棄。あまりのショックに当時の園長と二人、暗い事務所の中で唸っていました(ついでに言うと、たまたま来蒙した園の創立者ロベルト神父に悔しさをぶちまけたら、「こんなことで落ち込むならモンゴルになんか来るな!」と怒られた)。しかしその後の放棄者は激減して、結局期間内の数は10名に留まりました。初期に脱落した子ども達は比較的年齢の高い児童で、高年齢の児童が路上で荷なわされたトラウマはなかなか短期間では払拭できないものです。このことは児童の救済を考える上での重要なポイントでしょう。しかし、いずれにしろ、「継続は力なり」。長期にわたり学生を支えてくださっている皆様の関心と祈りが、若い彼らに大人への堅実なステップを用意してくださいました。学生の一人はドイツ、もう一人は韓国で勉強を継続中、どうなるかと心配していた男子は同じ園児と結婚して特殊機材の運転手、看護師、美容師、配管工、防災メカニック、警官、それに子供を持った若いお母さん達(モンゴルでは年齢に関係なく女性が子供を産むのは祝福の対象、後で知った。)、彼らが今後どのような人生を送るのかは分かりませんが、少なくとも皆様の力が彼らに将来への道を備えたのです。

    6、民主党政権の大学制度改革の目玉はどうもわが国立科学技術大学にあり、社会科学、人文科学を当校から分離する計画が進行中のようです。それとどう関係するのかわかりませんが、論文審査委員会が新たに設置されて、小生のように凍結された学位論文の審査が始まるとの見通しが出てきたと教授が言っていました。何か展開があるかもしれません。
    ではまた、軍曹


    さくらんぼ Kenkenの携わっている「バイラルラ会」(バイラルラとはモンゴル語で『ありがとう』の意味)ってなに?と思われる方は、バイラルラ会HPをのぞいてみてね!→バイラルラ会HP http://bayarlalaa.comこちらをポチっと<(_ _)>
    「バイラルラ会」は、モンゴルの困窮児童の進学を支援し、将来の自立を促す活動をしています。支援の方法や活動内容などの詳細が掲載されていますので、ぜひご覧ください!


    あと『軍曹』とは猪突猛進型の性格のためいつからか呼ばれるようになったKenkenのあだ名ですのでびっくりしないでね!実際は知的好奇心旺盛なジェントルマン(紳士)ですから(笑〜)


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