留学生Kenkenのモンゴル通信

モンゴル困窮児童の生活・進学を支援するバイラルラ会現地派遣員で留学生のkenkenがモンゴルの今を熱くリポートします!
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民族文化と近代化

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    聞き耳を立てる新しい年の1ヶ月が瞬く間に過ぎました。ところで読んでくださっている皆様の幾人かから「民族文化と近代化」について問題提起がありましたので軍曹の意見を考えました。

    1.途上国に先進国の考え方や技術、生活様式が入り込むと、それまで安定的状態にあった社会と人々の生活が破壊され、貴重な固有の文化が失われてしまうおそれがあります。それが困ったことかどうかは大いに判断に苦しむところですが、結局その変化を当事者である国民がどう受け取るかということに落ち着くのだろうと思います。優越した文化が遅れた社会を襲う事例は歴史上数多くあり、その身近な例として私たちは明治維新期と戦後期の日本を挙げることが出来ます。いずれの場合でも新来の技術や生活様式が従来のそれを破壊し、かつそのうちのある要素を巧みに取り込みながら新しい文化を作って行きました。ラフカディオハーンを始めとする欧米のジャポノロジストが消え行く日本文化を惜しんで声を上げましたが、日本の国民が吸収期の困難を乗り越えつつそう言う新しい道を選んだゆえに、日本は超近代国家となり今の私たちはかっての日本とは似ても似つかない世界に住むようになりました。飛鳥期の仏教到来、安土桃山期のキリシタン文化も多分同じような形でこの国の文化に作用したはずです。現在私たちが持っている日本文化といえるものは、せいぜい私たちの心の中にあるものの考え方、社会制度の運用の仕方、文化財、文化財的都市、芸能芸術、過去に対する追憶の念(日光江戸村)程度でしょう。しかしそれで十分だとしなければならないかもしれません。もし私たちの先輩が今の道を取らなかったなら、私たちはこのテーマを取り上げる立場に立っては居なかったはずです。その上、私たちが日本の文化と考えているものの多くは外来文化を基礎としているかその影響を受けているのが確実だからです(納豆、三味線、日本画など等)。

    2.モンゴルの近代化は1960年代の近代化運動、1990年代の市場経済化と2つの段階を踏みました。最初の近代化ではソビエトの指導のもと、モンゴルがコメコン体制に組み込まれたのを期に、計画経済による急速な工業化、生活様式の西洋化(東欧型都市計画、勤労者アパート即ちスチーム暖房と電気・水道、ベッドとイスの生活、ロシヤ式食事とウオッカ、背広・スカートと靴・靴下、西欧式化粧と歯磨き、チェスとビリヤード、学校制度、医療制度、社会保障制度)となって現れ、この結果都市の発達とともに国民生活は向上し、完全雇用、国民皆福祉が実現しました。
    1990年の民主革命により、国民は市民的自由と自由な経済活動の機会を勝ち取りましたが、それまでの国による生活保障の大部分を失いました。従ってモンゴルやこの国の子供たちが現在直面している困難の原因は草原の民族が押し寄せる近代文明の波に翻弄されたからではなく、生活の責任が突然国から市場経済には全く無知な個人の手に移ったからです。そこには市民生活の破壊と想像を絶する貧富の差の拡大がありました。そこで、我々が自分自身の失ったものへの憧憬をモンゴルに投射して、草原の風景を壊してはいけないとの焦燥感に駆られるとするなら(そう言う趣旨で活動しているアメリカのNGOもあります)サイは既に1960年代に投げられていました。ある意味での強制があったとはいえ、モンゴル人はこの近代化の道を好ましいものとして既に選んでいたのです。その上ヨーロッパ的生活様式になれた都市のモンゴル人(人口の50%以上)にとって、1990年以降に移入された現代の科学技術は明治期の日本人には想像もつかないほど受け入れやすいものでしょう。社会発展の皮肉ですが、家庭電話が高すぎて普及しなかったゆえにケイタイが普及し、PCの導入が遅れたためにいきなりフラッシュメモリーになりました(個人ではPCはなかなか買えないので、企業、学校、団体あるいはインターネットカフェのPCを使う)。

    3.そこで近代化の持つ影の部分をどうモンゴル人に説明するかが私たちの役割となりますが、かっての日本人がそうであったように目を爛々と輝かせて新たな文化の吸収に意欲を燃やす民族を納得させるのは至難の業です。それでは私たちが伝統文化と近代化を両立させる第三の道を提示できるかというと、私たち自身がそれを作り出せなかったのですから日光江戸村を作ってしまいました。世界の多くの国もそうです。ですから世界は日光江戸村(民族村)だらけになりました。無論モンゴルに知恵者が現れて新たな道を見つけてくれたら、もう万々歳です。

    4.しかし、日本や他の国以上にモンゴルでは一括して民族的伝統とも言うべきものが残る可能性があります。それは、モンゴルが広大な土地と少ない人口のゆえに全国土を完全に都市並みには装備できないこと、牧畜業が将来とも国の主要産業であり続けること(伝統的牧畜の基本は残る、モンゴルの特異な気候風土が作り出したものだから)、それに何よりも遊牧民たるモンゴル人自身が心の片隅でー中国やソ連にいじめられ続けたこともあってー農耕民が作った近代文明に違和感を持っているからです(アラブの人々が西洋文明に抵抗するのは宗教やイスラエルのみが理由ではないような気がします。)。それが今後どのような形を取るのかは分かりませんが、人間の力では御しえないような広大で茫漠たるモンゴルの自然が軍曹にそう思わせます。しかし一方でこの問題はモンゴル人に世界市民になるのか独特の民族国家になるのかの選択の問題を突きつけることになるのかもしれません。今後折を見てモンゴル通信ではこのテーマを取り上げて行きたいと思います。皆様のご教示をお待ちします。 軍曹
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